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ラジオパーソナリティが見た台北

ICRT のマネージャーを務めるティム・ベルジ氏は、ラジオ業界に30 年以上勤め、台北という街とメディアの発展に携わってきました。
ICRT のマネージャーを務めるティム・ベルジ氏は、ラジオ業界に30 年以上勤め、台北という街とメディアの発展に携わってきました。

【文:Kuan Yuan Chu】 

【編集:下山敬之】  

【写真:Samil Kuo、Taiwan Scene、Yi Wen Tsao、ティム・ベルジ】

2022年、台北はライフスタイル誌『Monocle』による「最も住みやすい都市」第10位に選出されました。出入国を管理する內政部移民署が発表している最新の統計によると、現在、台北市には約7万人の外国人が居住しています。台北のラジオ局でゼネラルマネージャーを務めるティム・ベルジ(Tim Berge) 氏もまた、海外から台湾に移住した外国人の1人です。

エレガントでシックなスタイルを好むベルジ氏は、長身でスリムな体型をしていて、「できるなら毎日でも着たい」と語るほどお気に入りのポール・スミスの黒ブレザーと洒落たネクタイを着こなしています。しかし、いざ話してみると、ベルジ氏の「台湾人」ぶりに大いに驚かされることでしょう。温厚でフレンドリーな物腰とネイティブさながらの流暢な中国語。台湾在住歴30年以上というのも納得です。

台湾の第一印象

太平洋の大海原の遥か彼方、ミネソタ州ミネアポリスで育ったベルジ氏は、世界中を回っていた巡業宣教師から、東アジアの魅力的な話をよく耳にしていたと言います。そうして、広大な海のどこかに台湾という小さな島があることを知るのです。

ベルジ氏は東アジア文化への関心を高め、将来は台北に定住することを決意します。事実、大学時代の外国語の授業では北京語とロシア語を選考しました。「当時は、お前は共産主義者なのか、などと言われたものです」とベルジ氏は笑いながら振り返ります。

ベルジ氏は中国語の上達のために、大学の留学プログラムに参加し、1年間香港で生活しました。その時、夏休みを利用して、かつて異国の地についてたくさんの話を聞かせてくれた宣教師を訪ね、想像するだけだった生活を実際に体験することを決断。1979年、ベルジ氏は初めて台湾の地を踏んだのです。

台湾に到着したときの第一印象を尋ねると、香港での経験と比較し「台湾は本当に良かった。台湾がもたらしてくれた感覚は、よりリアルなものでした」とベルジ氏は答えてくれました。

さらに、香港の問題点として、序列や社会的・経済的な地位を過度に重視する傾向があるそうです。それに比べ、人と人との真のつながりがある点が、台湾の魅力の一つだと言います。

台湾の文化に触れる

このように台湾の第一印象が良かったこと、そしてより良い中国語学習環境が得られるという希望を胸にベルジ氏は再び渡台。1981年に 国立台湾師範大学の中国語プログラムに参加し、1988年からは台湾で仕事を始めました。

それでも台湾に住み始めた当初は、文化的、環境的なショックの連続で、桃園の空港から台北へ向かうときに、ふと「僕は何をやっているんだ」と思ってしまったと言います。当時の台湾は、交通事情が非常に乱雑で、気候も身体に合わなかったことから、一時は毎日のように体調を崩していました。しかも、当時は戒厳令が敷かれており、人々は恐怖に怯え、地域社会が閉鎖的だったことを彼は今でも覚えています。「私と同世代の台湾の若者は、自由に踊ったり飲んだりして楽しめるような場所に行く勇気はなかったと思います」とベルジ氏は語ります。

台湾で働き始めてすぐ、誰もが上司に対してやや卑屈な態度をとるというオフィス文化に気づき、これに悩まされます。「お世辞を言うことは悪いことではありません。でも、それが行き過ぎると問題です」。ベルジ氏は母から言われた言葉を教えてくれました。「いい言葉が思い浮かばないなら、何も言わないこと。tiam-tiam ( 台湾語で黙るの意) です」。外国人の口からこんな言葉を聞いたら、台湾人はびっくりするでしょう。

もうひとつ、ベルジ氏が不思議に思ったのは、台湾の労働者が昼休みにみんな昼寝をしていることです。「アメリカ人が見たら、そんなに疲れているのかとか、昨晩は寝ていないのか、などと思ってしまいますよ」とベルジ氏は笑います。「アメリカなら、食後すぐに仕事を始めます」。

しかし、こういったことも時間とともに気にならなくなっていきました。そして、1991年にラジオ局ICRTに入社。放送業界でのキャリアをスタートしました。

第42 代アメリカ合衆国副大統領ウォルター・モンデールの妻ジョーン・モンデール氏が文化交流のために台北にきたとき、ベルジ氏がハワードプラザホテル台北に彼女と会話。(写真/ ティム・ベルジ)
第42 代アメリカ合衆国副大統領ウォルター・モンデールの妻ジョーン・モンデール氏が文化交流のために台北にきたとき、ベルジ氏がハワードプラザホテル台北に彼女と会話。(写真/ ティム・ベルジ)

交通リポーターの緻密な観察

ラジオ局での仕事は、英語と流暢な中国語のバイリンガルで交通情報を伝えるキャスター業務を担当。「キャプテン・ティム」という可愛らしいニックネームがつきました。当時の台北の交通事情について、彼は率直にこう話します。「本当にひどかった。時には、信じられないくらい長時間の渋滞に巻き込まれることもありました」。

台北の交通事情は現在と比べて最悪で、MRT が開業してからは、はるかに良くなったと彼は言います。

とはいえ、ひどい渋滞を事前に予測できたことは彼にとって良いことでした。最新情報が間に合わないときは、警察署や交通課に電話をかけたり、他のラジオ局の放送を聴いたり、時には自分の持っている情報だけを頼りにしていたこともあったそうです。「結局、いつも渋滞しているところは渋滞しています。思ったことを言っているだけですが、結局はそれが当たるんです」。

Googleもなく、携帯電話さえもない時代だったので、待ち合わせの場所と時間を決めたら、お互いがそれを守るよう祈るしかありませんでした。「1時間くらいの遅刻はマシだった時代です」と彼は振り返ります。

変化するメディア エコロジーへの取り組み

ベルジ氏は若い頃、「あなたのこと知っていますよ」と、よく話しかけられたそうです。当時は、メディアの種類はそれほど多くなく、洋楽を聴きたければICRTしかない時代だったので、ベルジ氏の声は有名でした。

現在では、ラジオ局の数や他のメディアも格段に増えたため、ICRT には昔ほどの影響力はありません。ベルジ氏は学校での講演活動にも勤しんでいますが、聴衆である大学生はラジオさえほぼ知らないと言います。ラジオを聴く学生が全くいないわけではないですが、自らラジオを聴いて楽しむよりかは、親の車の中などで受動的に聴いていることがほとんどです。ベルジ氏は「ラジオリスナーには2つの傾向があると思います」と指摘します。「まず、リスナー自体が少なくなっていること、そしてリスナーがどんどん高齢化していることです」。

バイリンガルの道路交通情報リポーターからマネージャーまで、ベルジ氏は常に仕事を楽しみ、新しい挑戦を続けています。
バイリンガルの道路交通情報リポーターからマネージャーまで、ベルジ氏は常に仕事を楽しみ、新しい挑戦を続けています。

このような状況の中で、放送局とそのコンテンツの露出をいかに増やすかが、ベルジ氏の課題となってきました。彼が指揮を執るICRTは、新しいメディアのトレンドに従って変貌を遂げています。ICRTは現在、局のコンテンツをアプリ、Podcast、さらには Facebook や Instagram などのSNSといった他メディアへの拡張に注力しています。

「クロスプラットフォーム、クロスプロモーション、クロスメディアです」とベルジ氏は話します。番組をひとつのメディアではなく、音声コンテンツとしてとらえ、あらゆるメディア領域に拡散・流通させていくべきだと彼は考えます。だからこそ、単に番組を収録するだけではなく、他のメディアでコンテンツを宣伝する方法を模索したり、スタジオの外でライブイベントを開催したりしているのです。このような傾向を前に「テクノロジーは私たちを豊かにするためにあるわけではないと感じることがあります。むしろ、人々がテクノロジーに奉仕しているようにさえ思えます。それはとても恐ろしいことです」とベルジ氏は話します。

放送局でラジオ番組を制作するだけでなく、ベルジはICRT Battle of the Bands のような音楽イベントを開催し、勝者の音楽を局で放送するなど、スタジオの外での仕事も展開しています。 (写真/ ティム・ベルジ)
放送局でラジオ番組を制作するだけでなく、ベルジはICRT Battle of the Bands のような音楽イベントを開催し、勝者の音楽を局で放送するなど、スタジオの外での仕事も展開しています。 (写真/ ティム・ベルジ)

言語と文化の架け橋となる

ベルジ氏は、自身がパーソナリティを務める「English-speaking station」を通じて、リスナーが世界と繋がるきっかけになると考えています。彼は英語のラジオを聞くことは、英語力の向上に非常に役立つと主張します。「ラジオで話される言葉は、実生活でも有用です」と彼は言います。映画やテレビ番組などの他メディアと比べ、ラジオで議論される問題はより実生活と密接に関係しており、ラジオから聞こえてくる言葉は、日常のほとんどの場面に応用できる一般的なものです。

そして、ベルジ氏のチームは、台湾ならではの切り口でコンテンツを作成し、あえて台湾人に関連する内容を選んでいます。それによって、リスナーの生活に密着した番組となり、ひいては台湾のリスナーが台湾の問題を英語で語れるようになるのです。

台北で送る平凡かつ健康的な生活

台北で初めて仕事をした日、陽明山と北投の緑がベルジ氏の心を捉えました。それからというもの、勤務する放送局が移転しても、彼はずっとこの地域に住み続けています。「北投は山が近くて、環境も美しく、とても気に入っています。空気が澄み切っていて、鳥のさえずりが優しく響き、毎朝、緑に囲まれて目覚めることができます。心を落ち着かせてくれる環境なんです」とベルジ氏は話します。

ベルジ氏は北投の環境が好きなのでここに台北暮らしを楽しんでいます。(写真/ Yi Wen Tsao)
ベルジ氏は北投の環境が好きなのでここに台北暮らしを楽しんでいます。(写真/ Yi Wen Tsao)

台北の食については、街中に点在する小さな食堂がお気に入りで、何年も通うほど思い入れのあるお店もあるそうです。「牛肉麺が食べたくなったら、中正区の桃源街や大安区の永康街に行きます。おいしい牛肉麺が食べられるんですよ。中正区の龍門客棧の餃子もいいですね」。また、近年は老舗飲食店の閉店も続き、寂しさも感じているようです。「台湾にはおいしいものがたくさんあるので、馴染みの店がなくなる度に残念に思います」。

ベルジ氏が好きな台湾料理のひとつは牛肉麺です。(写真/ Taiwan Scene)
ベルジ氏が好きな台湾料理のひとつは牛肉麺です。(写真/ Taiwan Scene)

彼は日常的な台北での一日について笑顔で話してくれました。「私の日常はそんな面白いものではありませんよ。毎日同じことをやっています」。毎朝、コーヒーを飲んで新聞を読み、1時間ほどジョギングやエクササイズをしてからラジオ局に出社。退屈なルーティンに見えますが、この健康的なライフスタイルが、彼のエネルギッシュで若々しい表情に表れています。60歳を超えていると聞き、驚いたインタビュアーの顔を見たベルジ氏は、笑いながら、若さの秘訣を教えてくれました。「それは運動です!」

台北の好きなところ

様々の独特で魅力的な気候こそが、彼がこの台北に住み続ける理由です。寒さの厳しい故郷ミネアポリスや、一年中温暖な台湾南部と比べると、台北はちょうどいいとベルジ氏は考えます。「台湾南部は暑すぎてスーツが着られません。それは耐えられない。スーツを着るのが好きなんです」。

台北で30年以上暮らし、台北の食文化を楽しんできたベルジ氏ですが、時には自分へのご褒美として、良質な西洋料理を満喫したり、家で料理を楽しむこともあると言います。幸い、台北はどちらも難しくありません。メディアパーソナリティとして、映画鑑賞やその他のパフォーマンスを楽しむことも多い彼ですが、台北は国内外のさまざまなアートイベントが開催される都市でもあります。彼が初めて台北の地を踏んだ時と比べ、台北は国際的な都市になったと彼は実感しています。

台北が他の都市と比べてユニークな点は、親しみやすく、友好的で、どんな旅行者も歓迎する点です。「香港、ニューヨーク、ロンドンといった都市は、お金があれば住みやすいでしょうが、そうでなければ話は別です。台北のいいところは、お金持ちでなくても、ちゃんとした場所に住めることです」とベルジ氏は話します。彼は、先に述べた他の国際都市と比較しても、台湾は特に住みやすい場所であると考えています。台湾では社会階層を問わず、一定水準の生活を確保できるのです。

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